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京都北西部にある化野念仏寺の門をくぐると、まずはひざ下ぐらいまでの小さな古~い石像が遠くの方まで、無数に広がっている景観を目の当たりにし息を呑みます。見たこともない、ありえない世界が目に飛び込んできます。石像が小さいためか、まるで大昔からある巨大なペット霊園のように見えます。こういっては何ですが人間が眠っているような墓場には見えません。場所が場所、謂れが謂れだけに観光客も少なく異様な雰囲気が漂っています。そこらじゅうに埋没していた無縁仏をかき集めてお寺にしたようです。
「吉田兼好 徒然草 第7段 あだし野の露」
あだし野の 露消ゆる時なく
(小倉山から降りそそぐ夜露が、あだし野の無縁仏を今日も濡らし続けています)
鳥辺山の煙 立ち去らでのみ
(鳥辺山で火葬する煙が、今日も絶えず焚ち込めています)
住み果つる 習いならば
(わたしもこのような夜露や煙と共に、永遠に過ごし続けていたら)
いかに物の 哀れもなからん
(それこそ人生の機微も、何も感じないことでしょう)
世はさだめなきこそ いみじけれ
(限りがある命だからこそ、ひとは生きる価値があるのです)
風葬という惨い風習と兼好が生きたゆる~い人生とを強引に対比させています。徒然なるまま、書きたいように自由に書いていたという随筆家吉田兼好の思考と時代背景が見て取れます。しかし執筆された鎌倉時代の1330年にはあまり読まれることはなく、約100年後の応仁の乱(室町時代1467年)が起こった時に人気を博したそうです。のほほ~んとした時代に執筆された「無常観」を題材とした徒然草が、生きづらい乱世に受け入れられたのです。この事実は、過去に過ぎ去って終わったことではなく、何度も繰り返される定めなのでしょうか。
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つれづれなるままに
(今日も誰も来ないしテレビも碌なのやってないし超~ヒマなので)
日暮らし 硯にむかいて
(一日ぼ~っとするのも何なんで とりあえず硯を摺っていたら)
心に移りゆく よしなし事を
(妄想が浮かんでは消えつつ どうでもいい絵空事を)
そこはかとなく 書きつくれば
(テキトーに書き殴っていたら)
あやしうこそ ものぐるほしけれ
(ここはどこ?わたしはだれ? 何が何だか分からなくなってきたヨ~)
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